埼玉県の久喜市は驚くことに1871年に埼玉県自体が設立する前からある古い町なのです。
もちろんその際は市ではありませんでしたが、”久喜”という名前は存在していました。

江戸時代の頃から商業が盛んな場所でもあり、明治以前の久喜の特産物はお米、大麦、小麦、大豆、お茶、綿など日常では欠かせない食材などが多くあったと言われています。

埼玉県が生まれるずっと前の1783年には今では久喜市民族文化財に指定されるほどの「久喜の提灯祭り」が始まり、多くの人の豊作などを願ったと言われています。
他には同じ頃に流行病が広がったために、健康祈願のために行われたという説もあるようです。

1837年(明治6年)には久喜に第一号となる学校が設立されました。
名前はそのまま「久喜学校」と名づけられました。
今のような学校らしい建物ではなく、当時は今もある光明寺で授業が行われていました。
この光明寺も大変歴史のあるお寺で、1580年に建てられました。

今では久喜と埼玉を繋いでいる当時は”日本鉄道第二支線”と呼ばれていたJR宇都宮線は、1885年(明治18年)に久喜の初代鉄道路線として誕生します。

1898年(明治31年)には久喜に初めての金融機関「久喜銀行」が設立されました。
ただ1927年(昭和2年)の金融恐慌によって経営が困難となり、設立から30年後の1928年に昭和銀行へ売却しました。

埼玉県でだけでもいろいろな歴史がある中、久喜だけでこれだけ深い歴史があるのです。